2008年5月21日水曜日

移住航海記


100年前笠戸丸は今航海中。笠戸丸はアフリカの先端喜望峰をまわっての西回りだが我々のあふりか丸はパナマ運河通過の東回り。東回り西回りは当時交互に出ていたように覚えているのだが。東回りは45日西回りの笠戸丸は52日かかった。
日本を出てからブラジルに着くまでのことは数行のメモとあとは次ぎのようなまとめが書き留めてあった。
上のは日本を出たときのパスポート。

1960年10月4日故国日本を離れ世界一の大洋を一路東へ東へと進むこと16日にして米国太平洋岸第一の都市ロスアンジェルスに着いた。さすがアメリカだけあって道路には多くの車が行き交い家々の庭はきれいに手入れされていた。90人の人達がこの地に降りた。

それから船は方向を南に変えた。段々暑くなってきて寝台の上に寝ていても汗でびっしょりになる。時々大陸がその片鱗を我々に見せる。イルカの大群に時々出会ったり亀や海蛇にも時々お目にかかる。やがてパナマ近くになると島々がはっきりと見えだしパナマ運河入口の近くには数隻の貨物船らしきものが停泊していた。

僕達の船が運河にさしかかると南米大陸と北米大陸とを結ぶ橋が回転して多くの車が停車する。第一の門を目の前にしてこれからどうなるのかと思っているうちに下から水が上がってきて次の水の高さと同じになった時、門が開いて船は次に進む。そういう事を何回か繰り返して掘割に入った。運河の両側は岩石のがけがそそりたち当時の工事の困難さが知られた。それからガツン湖に入り始めと同じような事(違うのは船が下がる)を繰り返して第二の大洋大西洋に入った。

大西洋は非常に穏やかで海の水は油のようでちょっと気味が悪かった。パナマ運河を通ってすぐクリストバルに入港した。上陸したが町は非常に汚くて変な臭いがしていた。市場に行ってバナナを35セント分買った。これは安くて10本が10セント位だった。それからコーヒーと砂糖を買って帰船した。11月3日はヴェネズエラのラガイラに寄港した。ここは物価が非常に高いので何も買わずただ見物してまわった。たいして見るべきものはなかった。5日は油を積むために後戻りしてキュラソー島に向かった。小さい島だけど道はよく整備され家々はきれいだった。

キュラソーを出て船内で盆踊り、映画と催しは色々あった。11月12日午前1時50分船は赤道を通った。その日は赤道祭。劇や踊りや仮装行列、時を忘れて大いに楽しんだ。次の日はサヨナラ演芸会。いよいよ下船も間近になってきた。長い船旅とももうお別れ。前途にはどんな苦労が待ち受けているか知らないけどとにかく力いっぱいやるつもりだ。

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