2011年1月13日木曜日

この門をくぐる者は一切の恥を捨てよ!


今回の娘のスペインの友達の訪問で娘がスペインで入院していた時のことを思い出した。2005年2月私は約28年働いた会社を定年退職、「これからは少しゆっくりできるかな」と思っていた矢先3月の始めスペインで勉強中の娘から電話があった。「息が苦しくて寝ておれず座ったようにして寝ていて少し血を吐いた」という。症状からして素人の私には結核ではないかと思われた。すぐさま病院に行くように指示した。翌日スペインのお母さんから娘が入院したというメールが入った。ブラジルでそれまで大学で教えていた娘は何を思いたったか個人でBioéticaの博士課程の勉強をしにスペインに行くと言い出した。学費や生活費で金がかかるので行く前に「日本語教えます」とスペインのインターネットサイトに出したところ申し込みが2,3ありアルバイトで生活費くらいは稼げるようになると見込んで約一年半前に出かけていた。その初めの生徒は日本に行ったことのあるキューバ出身でスペインに長く住む年配の人。今度は観光ではなく俳句修行に日本に2,3ヶ月滞在したいと言っているという親日・知日家でその人の奥さんとも娘は 仲良くなり、ある時もし自分たちに子供がいたらこんな娘になっていただろうなと二人で話していたのを耳にした娘は勝手にスペインのお父さん、お母さんと呼ぶようになったらしい。彼も日本については博識で娘もだいぶ学ぶところがあったという。娘は一年ちょっとスペインにいてその後ブラジルに一時帰国そしてその年の初めに再度スペインに渡ったばかりだった。
後で娘から聞いた話だがようやくのことで病院にたどり着き医者に症状を話したところ医者も結核の疑いもあるからとレントゲンを撮ったところ肥大した心臓が写っており心不全と診断されその場で入院となった。
メールではスペインのお母さんは一日二回病院に通っているとのこと。その次の日は生徒の一人からのメールが入り集中治療室にいるが落ち着いているのであまり心配しないようにと書いてあった。スペイン行きのチケットの手配をしようとしたが全てずっと先のしかない。その時はっと思い出した。一年前娘を訪ねて妻と観光を兼ね、パリ、バルセロナ、マドリッドと回ったときブラジルへの帰りの便で隣同士になり偶然私たちの住んでる近くで旅行社をやっていると言っていた人を。その後も何度か会い電話番号もひかえてある。早速行って事情を話すとあちこち連絡してくれ二日後のキャンセルの席を見つけてくれた。そうして私がスペインに渡り電話で病院に連絡した時に出迎えてくれたのが下の1月7日のブログに書いたアルムデナであった。それから娘のスペインのお母さんとも出会い三人で娘がいる集中治療室へ向かった。

ちょうど昼食後の面会時、一時間で付き添い二人入れるという。一人は私でもう一人を順番にしようということになった。私を入れて十人くらい集中治療室の前にいる。若い娘さんが多い。なんでも娘の生徒達で、愛知万博のスペイン館で働くようになっているコンパニオンの人達だという。よくも短期間でこんなに友達を作ったものだと感心したりあきれたり。中に入るとあちこちチューブにつながって薬を打ちこまれている娘がいた。それでも案外元気な声で言い出した「不公平だわこういう状況は。私は全部脱がされてこの薄いシーツをかけられているだけ、おまけにへんな袋まで横にぶら下げてあるし。恥ずかしいたらありゃしないわ。病人を精神的に圧迫しないように来る人も同じ条件におくべきよ、それで病室に入る時には着物を全部脱ぎシーツに身をくるんで来るのが本当よ。そしてドアの上には「この門をくぐるものは一切の恥を捨てよ」と書いておくべきだわ。」
この言葉はイタリアの古典ダンテの「神曲」地獄篇で「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と地獄の門に書かれているのをもじったものらしかった。恥ずかしながら私はこの本の名前は知っているが読んだことはない。まあこんなことが頭に浮かぶくらいなら娘の気持ちもしっかりしていると一安心したのを覚えている。

上の写真は娘のスペインのお母さんと撮ったもの。なぜかしらいつも母子の雰囲気がでていた。私も病院で寝たり、また夫婦で住んでおられるマンションでお世話になったりした。彼女は2008年ブラジルの出版社との会合でサンパウロに来られた時ヴィトリアまで足を運んでもらい再会を果たすことができた。

娘は40日ほど入院していて集中治療室から色々な装置のついた一人部屋そして三人部屋へと移動していった。相変わらず、病室には見舞いがひっきりなし。その間私は退院後娘が病院へ治療にかようことができるようにマドリッドで小さなマンションを借りた。退院の時担当の医者と話し合った時定期的に通院して様子を見るが悪くなれば心臓移植が必要になるがその場合はここスペインのほうが日本よりずっといいと言った。どうやら私たちを日本から来たと思ったらしい、そしてスペインでは心臓移植は進んでいて列も少ないらしい。
幸い娘は少しずつ快方に向かっていきそのときはスペインに着いていた娘の友人で我が家の金髪の長男(?)に後を頼んで退院後二十日くらいして私は帰伯した。彼は仕事の三ヶ月の休暇を取り看病に出向いてくれていた。

ブラジルも心臓移植の手術は進んでいる。私達のかかりつけの心臓専門の医師やリオの研究所で働いている医者の息子とも相談して旅行が出来る状態になったらブラジルに呼び戻すことにした。心不全にヨーロッパで使われてなくアメリカで使われているのにいい薬があり、ブラジルでもそれは使われているというのも判断の材料になり、なにより身近で見守れるというのが一番安心だ。数ヵ月後娘は帰伯。その後サンパウロの専門医に診てもらい今も定期的に通っている。もちろん薬はずっと飲み続けなければならない。

しかしこのスペインでの経験が娘の人生を変えた。連邦大学の法学部をでて修士課程を終えスペインでBioeticaの博士課程を勉強していたのだがそれを全部捨てなんと今は「東洋文化センターともだち」なるものを経営している。スペインでアルバイトで日本語を教え、その時出会った人達のすばらしさに胸をうたれたと言う。自分は夢を追い感動する毎日を送りたいそれが出来るならばいつ死のうと自分は幸せだと言う。
娘の幸せを願わない親はいなく後押しをするしかない。ヨーロッパの雰囲気を漂わせるクリチーバの土地柄、人柄(?)が幸いしてその結果が12月23日のブログとなった。

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