2007年5月20日日曜日

二つの同窓会


                                    私は後列左から10人目                              

今から20年ほど前の話。ある日会社から帰ると妻が 「あなた、サンパウロから手紙が届いているわよ、テーブルの上に置いてあるから」 「へえ、珍しいなあ」 この頃は親戚とは電話だしそのほかサンパウロからといえば銀行や週刊誌の出版社からの勧誘ぐらいのものなので差出人を見た。知らないところからだ。開けてみると名前のリストが目に飛び込んできた。何、大学卒業10年目なので同窓会を開くという案内状だ。

今まではサンパウロ市内で気のあったもの同志でやってきたが10年目の節目の年であるし皆に呼びかけたと書いてある。しかしよくここまで来たものだ。私は卒業後すぐサンパウロを離れてエスピリトサント州に来たので誰も知らないと思っていた。後で歯科医の弟から聞いた話だと私を知らないかと電話がかかってきたので住所を知らせておいたというのだ。すると私の場合はあの分厚いサンパウロ市の電話帳から私と同じ姓の人のところ(もっとも佐伯をSAHEKI と書くのは少ないと思うのだが)へ電話をかけて捜したということになる。200人ほどのリストで電話番号と住所が書いてある。ほとんどサンパウロ州それも市内が多い。州外は数えるほど。名前をたどっていくとその頃のことがなつかしく思い出される。日にちを見ると2ヶ月ほど先の木曜日となっている。いつ会議があるかあるいは出張があるかわからないし出席の通知を出すことは出来なかった。

同じことが15年目、20年目、25年目と続いた。5年毎となったらしい。そして今年30年目の同窓会の案内状がきた。私はブラジルで学校にいったのは大学だけなので同級生といえばこの仲間しかいない。場所はサンパウロ市内のホテルのレストラン。幸い今年は定年退職して自由の身? 早速出席の確認となる経費の半額を払い込んだ。妻も同席。やがて当日。時間どおり夜8時にホテルに着いた。レストランは1階にありプールがその後ろにあるという。早速受け付けで名前をいうと名札を胸に貼ってくれた。プールの周りに集まって話がはずんでいる。なにしろ私は始めての参加なのでどうなるかと心配だ。

いやー いたいた。昔の面影が残っているもの、かすかに思い出せるもの、まったくわからないもの。おたがい胸の名札を確認しながら握手したり抱きあったり。30年の年月を超えてまるで大学時代の放課後そのまま。おたがい相手を見ているものの実はそのうしろから覗いている30年前の姿しか見えていない。そこには今なにをしているかとか肩書きとかはまったく関係ない。ただお互い昔の無垢のままの関係。今までの自分の足取り、今の仕事のこと、子供のこと、話がつきない。お互い再会を誓いあい私たちは12時頃席をたったが酒豪連中は4時頃まで飲み明かしたらしい。幸い今年は金曜の夜。今思い出すだけでも身体がほてって忘れられない夜になった。

その時の一人がエスピリトサント州ヴィトリア市にも事務所をもっていて次の週に行くというので帰って早速連絡を取り一緒に我が家で夕食を共にした。同窓会に来ていなかった友の消息も知っていてそのうち私に連絡してくれるという。離れて点になっていた私、これからは少しでも輪のなかに入っていけたらと思っている。

実は私にはもう一つの同窓会がある。日本の中学校の同窓会でこれは10年ほど前に招待状をもらった。これもよく届いたものと感心している。同じようにリストには住所と電話番号が書いてある。2年に一度11月の第一土曜日。そのうち出席できる日が来ることを楽しみにしている。

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